おもしろきこともなき世をおもしろく(ツアー④)

ツアーもいよいよ大詰め
萩博物館を出ること、数分。
萩城下町へ行きました。

ここには、高杉晋作や桂小五郎の出生地があったりします。
これが、わたしの目当てでした。

ここの町並みは
こんな感じで、すでに国の重文だかなんだかに指定されております

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要は昔のままの状態であるということですね

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最初に向かったのは、
桂小五郎(木戸孝允)の出生地

この木戸孝允は、西郷隆盛 大久保利通とならんで
維新の3傑ともいわれるほど、有名な人でして、
45歳でその生涯を終えるわけですが、
西南戦争のさなか
「西郷、大低にせんかぁ」という言葉が最後にのこした有名な言葉ですが
まさに、偉人ですな

孝允自体は、松下村塾はでていませんが、
明倫館時代に、松陰が、山鹿流軍学で教鞭をとっていたときに
師事しておりますので、
そういう意味では松陰の教えをちゃーんと受け継いでいる。

で、そんな思いを考えながら
着きました。

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中は見学することが可能になっておりまして、
中に入りました。

彼がいかに優れ、神童とよばれたのか垣間見ることができたのがコレ。

7歳だかに書いた習字です

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このうまさは何?www

7歳ってあんた、小学2年生?
恐ろしい。。。

後に、19歳で江戸へ渡り、江戸へいった木戸孝允は
斉藤弥九郎から剣術を習い、翌年には塾頭にまでなっています。
斉藤弥九郎といえば?
剣術好きな人はもうお分かりですよね?

神道無念流ですね。

文武両道というか、
竜馬もそうですが、この時代の人はほんとにすごい。
武芸にも秀でてるくせに学もある。
かないませんな。。。

そう感動しつつも、さらに近くに晋作の出生地があると思うと
次へいそいそ。

伊藤博文は、高杉晋作を後にこう評しております。


「動けば雷鳴の如く 発すれば風雨の如く」


竜馬もそうでしたが、晋作もまた時代をかけていった漢でした。

家の前に着くと、ちゃんと残ってる

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晋作が、明倫館をでて、19歳のときに松下村塾へ入塾するわけですが、
久坂玄端とともに、村塾の至宝とも言われるほど
頭角を現すわけですね。

中に入ると、看板があり説明文が書いてある

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そして、入ることはできませんが、
部屋を外から見ることは可能になっておりました。

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酒好きで、女好きで、しかも学もあり、
三味線弾いて、都々逸を唄い、うーん、

三千世界の烏を殺しぬしとともに朝寝がしてみたい。

即興で作ったうたのようですが、
こういうのすぐつくれるあたりが、そらモテるわwww

ちなみに、三千世界というのは、
浄土真宗てきにいうと、たしか
西方十億万土?つまりは阿弥陀さんとか、
そういう人たちがいる場所のことのようですよ?

なんともまあ、すばらしい男でしたね。

ツアー客が多すぎて、ちと思いにふけるたびに
おばちゃんたちがやってくるのでwww

遠目から、しみじみと感動しました。

ここは菊屋横丁というところで、国の重文に指定されている
菊屋さんの長屋があります。
もちろん、ここにもたちよらなければいけません。

なぜか、、、?

故司馬遼太郎はこう書いています

ー略ー

 さらには長州人のもつ品のいい軽快な美意識を存分に感じた。
向日性の高い庭園をふくめて屋敷の構造を抽象化してゆくとき、
そのまま長州藩というものの藩財政の機構をかんじとれるのではあるまいか
ということも思った。
 さらに、いま感ずることは、たまたま代々の菊屋家の努力で遺されてきた
この造詣世界こそ、長州という地域性をはるかに離れて、日本人のさまざまな
分野の意識史を感得する上でかけがえのない遺産ではないかということである

                                司馬遼太郎

もう、そのまんまです。
解説通り素晴しい庭園ありの、敷地ありの至れり尽くせり。
すばらしいところでした。
この菊屋さんというかたは、
相場のいいときに、米を大阪でうり、
山口に来たんだそうです。

藩にも金を貸すくらいお金があったそうですから、
さぞかし、当時は活気があったんだろうなあと思います。

と、名残惜しい気はしましたが、
時間もなくなってきたので、2km先の松陰神社へ向かいました。

ここにあの松下村塾があるわけです。

ついに到着した松下村塾

ついにこの日が来たのです。

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テレビでしかみたことがありませんでしたが、
まじかで見るとホントに小さい。

横へ回ってみても・・・

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正面へ回ってみても・・・

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ほんとに小さい。

ここで、数多くの志士たちがつどい、語らい、巣立っていったとおもうと
すごいなぁと思うのでした。
松下村塾では約80名ほどの塾生が2年間の間にいたそうですが
偉人たちがこれほど多く出て行ったのは
間違いなくこの存在が大きいのでしょうね。

もう、時間も押してきたこともあり、
長くはいられませんでしたが、
それはなぜか?

どうしても、もう一箇所確認いや、
行って見なければならないところがあったからです。

それは、何回も出てきていた、藩校明倫館。

今は小学校になっていると聞いてはいましたが、
きっと、面影はあるだろうと思っていました。

私はこういう突発的な賭けに出るのが好きです

そういう意味で、計画通りに動かないとだめ、
根拠のないチャレンジはしないというかたは
私とは旅はまちがいなくあわないでしょうねwww

場所も近いので
いったのです。。。

すると。。。

・・・
・・・
・・・

あっと!!やっぱあった!!
これが確認できただけでも私は大大満足です!

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思えば、日本三大藩校

常陸の「弘道館」 会津の「日新館」を見てきました。

あとは明倫館だけだったのです。

この痕跡が見れただけでもう最高にうれしかったです。

この小学校は今も、普通に開校しておりまして、
なにやら古い建物と新校舎らしきものがあって、
どちらとも共存している感じでした。

なので、裏から見ると
普通の建物と一緒にある感じなのです

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まだまだあるだろ?
と思い、ずんずん進む

何を確認したかったか?

会津の日新館と明倫館にしかなかったという水練場
これはないのかと!!

ぐるぐるぐる・・・
怪しいものじゃないよおお。観光客だよおおおww

【見つけました】

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左にあるのが、水練場、右にあるのが聖賢堂という建物。

いやあね、歴史物が普段の学校の中に普通にあるってすごいことですよ。

きっと、この明倫小も松陰の教えがきっと入って
いい教育受けてるんだろうなって思いました。

その根拠は、
町の中で松陰についての場所や情報を聞いてみると、
気がついたことがあったからです

松陰先生は・・・

松陰先生はというとですね。。。

必ず”先生”がつくんですよね。

こんないいところで勉強ができる若者は幸せです。

私も行ってみたいものです

「お前どこ出身?」
「俺?明倫小」みたいな・・・


駆け足でめぐりった感じではありましたが
今回の旅は、私の中で計り知れないほど内容の濃い旅になったようです。

普段何気ない生活をしていても、
こういう教育、いわば”志”をもって生活しているのか?
そんなことを改めて考えさせられることにもなりました。

志は違えど、男として、日本を何とかしようと
していたあの時代・・・

そんな志をもった人間に私もなりたいと思う山口ツアーでした。

次は行くとしたらやっぱり薩摩でしょうね。

まあ、いつになるかわかりませんが、
やっぱり旅行はいいものです。

どうでしたか?4回にわたりご紹介してきましたが
皆様の今後の旅にも役立てれば幸いです。

まだまだ書きたいことはありますが、
このへんで。また旅をしたいです。
そのときはまたここに。。。。

それまでは、FFネタで勘弁してねええwww
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by Takaoheart | 2007-11-15 02:51 | 時勢