ならぬことはならぬものです(ツアー④)

さあ、やってきました、ちと小高いところにある
会津の藩校「日新館」

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故:司馬遼太郎に言わせると
江戸時代、ここまでの教育水準を持っていたのは、
恐らく、明倫館か会津のこの日新館だろうとの記述があります。

当時、各藩には藩校がありました。
その数5000とも言われております。

そのなかで
有名なのは、常陸の国の、言わずと知れた「弘道館」
長州が「明倫館」、薩摩が「造士館」でしょうか。

うちの実家(岩手)には、「作人館」という藩校がありました。

西側は遠いだけあって私はいけてないのですが、
その存在はもちろん知っております。

その、長州の、吉田松陰や、佐久間象山ですら、
見学に来たということをおっさんから聞いてびっくり。

すんげーなと。
更に言えば、当時、水練場があったのは
「明倫館」と「日新館」の2つだけだったそうです。

会津藩家老、田中玄宰(はるなか)
は天明の大飢饉による、藩の衰弱振りをみてたちあがったったということだそうです

なんだっけな、わしもよく覚えてるなしかしw・・・

教育は100年の計にして
会津の興隆は、人材育成にありだかなんだが・・・

覚えてないな・・・ぶっw

とにもかくにも
とりあえず、中へ突入。

目の前にあるのが南門。

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偉い人や上流階級の人しか通れなかったそうです。

生徒は、脇にある、
西門、東門から入っていたのだそうです。

生徒数は、実に1000名。
いかにデカイ学校であったかが分ります。

中に入ると
こういうのがみられます

什の掟といわれるものです

   一、年長者の言うことにそむいてはなりませぬ

   一、年長者にはおじぎをせねばなりませぬ

   一、うそをついてはなりませぬ

   一、ひきょうなふるまいをしてはなりませぬ

   一、弱いものをいじめてはなりませぬ

   一、戸外でものを食べてはなりませぬ

そしてその最後に


      ならぬことはならぬものです

と書いてあるのです。

こういうことを小さい時にガキにおしえねーから
いまの世の中の若造は
バカばかりなんだよなと。

6歳から入学した生徒は
素読所(そどくじょ)というところからまなび、
勉強します

当時のお昼は
米と味噌の固まりだったそうです。

おかずに豪華なものをもってくることは恥じとされていたそうです。
もちろん、ここに入学するためにテストもあります

武士の心得として最低限の作法ができないんじゃ、だめだと
門前払いされたんだそうです。

それをみていて

ううん。。。
昔の人はりっぱじゃな。。。
FFとかやってるワシって、小さいなあ・・・
とかおもったり・・・

まあ、社会人だだから大丈夫だなw
とひとり納得。

とある精神科の先生がテレビでこんなこといっておりました。
(ぼけーっとテレビながしてただけだったんで、なまえとか覚えてないけど)

1980年以降の生まれの人は

幕末当時の、維新を考えていた若者と比べると
あまりにも精神年齢が低すぎる。

彼等が20歳のときと
その年代の精神年齢を比べると10歳は違うと。。。

なんか妙に納得してしまったのは私だけでしょうか?

すぐにキレる
辛抱がない
今がよけりゃあーどでもいい
ウソは平気でつく
親のすねをかじりまくり

みたいな・・・

(そろそろ働けwww)

志は違えど、
あの時代に生きた彼らは、花の慶次風に言うと漢とかいて「おとこ」
まっこと男でした。

そんな、男達が
200年前にここにいたんだなあと考え深いものがここにありました。

そんなこんなで
最後は、心あらわれ、
ビシっとしまった観光でした。

会津いいとこ一度はおいで。
いや、FFやってる暇あって
すこしでも金ができたら旅行したほうがいいね。
マジで。
次回は西へいきたいのおお
FFばっかりだとバカになるわと、反省しつつも、

私も、更に、侍としてメリポがんばらんとな
とおもったのでした。

え?っなにやっぱ最後はそれなわけ??????????W

このクズ、ボケ、アホ!

す、すみませんでしたーーーー!!












 
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by Takaoheart | 2006-12-13 16:44 | 時勢